失踪日記2 アル中病棟
吾妻ひでお/著
普段はカメラで撮影しておいた後、掲載するときにスキャナーで表紙をスキャンしているのですが、今回は忙しいのでそのまま。(あじま先生すみません)。
まだ読んでいません。
大学時代の先輩(古本の師匠)が吾妻先生のファンクラブをやっていて、ファンジンも出していました。その人に連れられて米沢嘉博さんのお宅に遊びに行ったこともあります(なぜか外国のアダルトビデオ鑑賞会だった)。巽孝之さんの翻訳者養成講座に連れられていったこともあります。もし僕がソフト開発に興味を持っていなかったら、そっちのほうに行って、売文で身を立てていたかも知れません。
まあ、それに限らず、札幌は寒そうで嫌だなと思わなかったら獣医になっていたかも知れず、教育学部も良いなと思ったら教師になっていたでしょう。
職業選択の自由などと言いますが、多くの人の場合、職業は10代後半から20代の初めぐらいまでに選び取ってしまうもののようです。その頃に誰に会って、なにをするか、が大事な気がします。
10/16 19:51