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勝弦(その2)
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記念碑が建っています。奥はゲートボール場。
碑には書いていませんが、勝弦峠は武田勢が信州小笠原勢を破ったところです。
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 勝弦の地は江戸時代天領にして北小野村塩尻十一ヶ村諏訪九ヶ村の入会地であり荒涼たる山野であった この地を伐り開かんと塩尻の百姓儀左衛門外同志二十人が入会村の強い反対の中を相計り十数年に亘り幕府に命がけの請願を続け一七八〇年漸く勝弦新田として独立が認められたのである
 入植数年にして天明の大凶作に遭い幾多の困難を克服して開拓するも水源乏しく許可違い上の宮に湧出する豊富な水の引水について入会村に懇願一八〇九年漸く願望の用水路を完成し勝弦農業の基礎を築いた
 一八七五年明治維新により新町村制が施行され北小野村に合併筑摩地村勝弦となる
 爾来産業は水稲を柱に養蚕林業酪農等時代と共に変遷 塩尻 岡谷への新道開通により教育文化も向上二次産業への就業盛んとなる
 一九五九年塩尻市発足により北小野勝弦区となる僻地解消の為観光開発の声高まり一九七〇年ゴルフ場別荘地の誘致をなす
 一九七六年國鉄塩嶺トンネル掘削の影響により飲用水及び田用水の水源枯渇し水田に地割れ陥没現象起き國鉄は水源をトンネル内に求め上水浄の設置溜池の新設と共に水田の漏水防止対策として岩手大学農学部農地造成研究会が開発した破砕転圧工法より圃場整備をすることとなり同大学の先生方の技術的指導を受け一九八〇年完成したものである
 時恰も開村二百年の記念すべき年に当たり祖先 先輩の血と涙と汗の労苦を想起しわが郷土の限りない発展を希い茲に記念碑を建立す
一九八〇年十一月十六日 勝弦区中


> 私もなるほどと思いました。

第二列ってのは、まさに「相手が悪い」を書くところです。「相手が悪い」を否定してしまうと、棚卸表が書けなくなっちゃいます。

> それほど傷ついているとは、自分では最初は思っていない

暁姉さんの話を聞いていると、一つの場所にとどまり続けるのではなく、そこで結果が出る前にやめて次に行ってしまう印象があります。

「掃いて集めたゴミをカーペットの下に隠す」とは赤いきつねの本の言葉ですが、そうやって掃除が済んだふりをしても、ゴミはとどまり続け、次にカーペットをめくってみたときは、もっとひどいことになっているわけです。

結果が出るまで続けるってことは、どうしても必要なことですよ。

1/31 13:45
by kokoro-no-iede | 2010-02-24 12:27 | Beyond the horizon
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