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もうひとつGrapevine
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同じく特集 Life After Relapse より

Just visiting
ただ行ったいただけ

 私が最初にアルコホーリクス・アノニマスのミーティングに出席したのは1972年でした。けれどお酒が止まったのは1990年でした。1990年の時は何が違っていたのでしょう? それを説明しようにも、違いは何もないように思えました。ずっと違いについて考えて出した答えは、きっと私の行動が変わったからです。

 1972年の時は、私はただAAを訪問しただけでした。私は「本物の」アルコホーリクである同僚に連れられてきました。私はまだ酒飲みとしてのキャリアを始めたばかりでしたが、それでも種はまかれたのです。その後の18年間で、私は意気消沈したニューカマーとして十何回もそのドアをくぐりました。私はそれが自分の病気のぶりかえしだとは断固認めませんでした。私にとってソブラエティ(飲まないで生きること)は、何日、何週間の単位で計るもので、時には何ヶ月というものでしたが、酒はもう何年もやめられずにいました。

 私は毎日飲んでいました。たいていはブラックアウトし、酔いつぶれるまでです。終わり頃になると飲む量が減ってきたので、自分が良くなってきていると本気で思っていました。1990年に最後の酒を飲んだとき、それはその前の何百回に比べて特に酷くなく、何の違いもありませんでした。AAへの戻り方も同じでした。それまであまりにもたくさん失敗を繰り返してきたので、その時も特に希望を持てずにいました。それが自分の不憫な回復計画にも反映されていました。私は二週間に一回大きなオープンスピーカーズ・ミーティングに顔を出すだけにしようと思ったのです。

 そうやって6週間過ごした後、私は今までと違うことをしました。私はスポンサーを得たのです。彼女は私がたいして見込みはないと思っていただろうと思います。けれど私と話をしてくれ、いくつか提案をくれました。まずはミーティングのプランを改良することでした。私は行けるときはいつでもミーティングに行くようになりました。それはつまり、毎日ということです。まっさらなカレンダーの中に、私の新しいソブラエティが積み重ねられていきました。

 次に私たちは12のステップに取り組みました。それまで私は人々がステップに取り組む理由を誤解していました。

 私はそれまで口先だけで自分はアルコホーリクだと言っていました。私は人に好かれたいと思っていましたし、自分がアルコホーリクだと名乗るのはこの団体では好ましい行動でした。私がアルコホーリクというのは真実です。けれど、私は何も認めておらず、ただ言葉を発していただけでした。だから、それから2年と少し、私はミーティングでの分かち合いで「ハーイ、私はベティ。私はアルコールに対して無力です」と言っていました。これはただの言葉の違いみたいに聞こえるかもしれません。けれど、私にとっては強力な違いでした。

 最後に。1990年、私は自分のまだ短いソブラエティを守りたいと思いました。まだ6ヶ月しか経っていない頃、スポンサーが何ヶ月か町の外に行ってしまいました。彼女がいない間「立ち泳ぎをする」かわりに、私のハイヤーパワーは一緒にやってくれる臨時のスポンサーを探す意欲を私に与えてくれました。

 リラプス(ぶりかえし)をやると、私たちの病気は悪化します。私の経験は希望を与えると同時に危険の存在も示しています。私はうわべだけのAAメンバーが、これを読んで再飲酒しても大丈夫だと思ってしまわないか心配です。彼や彼女は、またいつでもAAに戻ってこれると思うかもしれません。けれどその保証は誰にもありません。

 1990年の私の本当の違いは、霊的な渇きと――見過ごされがちなことですが――重大な決意に基づいた意欲です。

 AAには私の求めた何がありました。私と同じ道を進んでも、きっとあなたに損はないでしょう。私のAAの救済を、その心の平安を、その平和を求めました。私は自分が求めていたそれがソブラエティそのものだとは思いもしませんでした。

 私の底つきは、病むことでした。病むことに疲れ、疲れ果てていました。私が最後の飲酒で目がさめたとき、私は初めて本気でAAにあるものを求めたのです。

 私はリラプス(ぶりかえし)を経験した平凡なAAメンバーです。あなたも同じ経験をするかもしれませんが、そうしなくてもかまわないのです。

Betty L.
Fitchburg, Wisconsin
by kokoro-no-iede | 2009-11-04 21:17 | Grapevine
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