ロールキャベツと炊き込みご飯、おいしゅうございました。
さて、相手のためを思ってしていることなのか、それともコントロール欲求で自己満足を求めているに過ぎないのか・・、どうやったら見分けられるか、という質問を受けました。
それは区別が難しいと思うのですが、例えば一つ例を挙げるとすれば、自分がスポンサーをやっても回復しなかったスポンシーとか、あるいは施設であればこの施設では回復できなかった利用者が、自分以外のスポンサーや別の施設で回復できたとき、その人が回復できて良かった、と喜んであげられるのなら、その人のためにしたことだと言えるでしょう。
もちろん、自分がやったことが相手の役に立たなかったわけですから、そのことに一抹の淋しさや残念さを感じるのは当然のことで、それがまったくないのも人間として欠陥だと思います。
しかし、その残念さが強く、裏切られたような気分になったり、その人の回復にケチをつけたり、あら探しをしたくなるようであれば、過去の親切が自己中心的な動機でやっていたに過ぎないことに気付かされるはずです。場合によってはそれを共依存と呼ぶのかもしれません。
僕のスポンシーの中には、前に別のスポンサーがいた人もいます。AAの中にいれば、その「元スポ」と会うこともあり、時には「○○さんは、最近どうですか?」などとスポンシーの様子を訪ねてくることもあります。「こんなで、あんなで、結構良くなりましたよ」などと説明すると、その人の顔が明るくなって、それは良かったと握手を求められることもあります。その時には、この人は善良な動機でやっていたんだろうな、とこちらも明るい気分になります。まあ、そうとばかりとは限りませんが。
9/4 19:58