お昼ご飯はマーボー豆腐。より正しい発音ではマーポー豆腐らしいけど。
共依存概念のテキスト。
「共依存」の存在そのものを否定できないと思います(CoDAの存在もあるし)。
ではあるものの、「依存症者の家族が共依存である」というコンセプトは、アディクションの家族ケアに不要とされるようになりつつあると思います。先々月、依存症者の家族向けの動機付け面接の講座を聞きましたが、「共依存」とか「イネイブリング」という言葉は一度も講師の口から聞かれませんでした。共依存という言葉を使わなくても家族支援ができる、ということは、依存症の家族ケアに共依存概念は不要だということにつながります。
動機付け面接では、家族が本人を「手放す」とか「世話焼きをやめる」とは言わずに、本人が酒を止めていくプロセスを上手に支援していく方法がとられます。
また、発達障害特性も絡めて個別的支援の必要性を訴える人たちも、「共依存」とか「イネイブリング」という概念も使いません。
依存症のケアの分野にも流行があります。流行ったものもいずれ廃れます。80年代後半から隆盛してきた共依存概念も、そろそろ賞味期限が切れてきた、ということではないかと思います。
ビッグブックには、人には誰でも他者をコントロールしたいという欲求があると説かれています(承認欲求にしてもしかりです)。社会全体に広く見られる現象を「病理」とか「問題」として捉えようとすると、とたんに問題の輪郭はボケてつかみ所が無くなり、解決も困難になります。
なので、僕は共依存という概念は、依存症の家族支援や家族の回復には使わなくて済む概念だと思っています。
6/16 12:51, 13:15