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映画評 アヒルの子
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新宿で食事を済ませて、同じ新宿区内のシューレ大学へ。
ここで小野さやかという若い映画家が撮影したドキュメンタリー映画を見ました。日本映画学校の卒業制作として撮影されたもので、すでに6年を経過しています。

ヤマギシズムで知られる幸福会ヤマギシ会。養鶏から始まったこの団体は、農業を基盤として「お金のいらない社会」を具現化するというコミューン団体です。この団体が隆盛を極めた80年代、90年代、多くの人たちが財産のすべてを寄付してヤマギシ共同体に参加していきました。僕にはその行為は狂気にしか見えませんが、きっとその人たちは環境や教育の高い理想に燃えていたのでしょう。

ヤマギシ会ではヤマギシズム学園という学校を持っています。そして、小学校に入る前の5才の子供たちを親元から離し、ヤマギシ会の母親係と集団生活をさせるのが「ヤマギシ会幼年部」でした。小野さやか監督はその5期生にあたります。自然の中で争いのない理想環境で子供を育てるといううたい文句は、日本教育に疑問を感じ、自分の子育てに自信を失った全国の多くの親たちを惹きつけました。しかし、その実体は子育てのノウハウもスキルもない人たちが必死で子供たちを監督しているだけ。厳しい環境での1年間は子供たちの心に後々まで残る傷跡を残しました。

5才の1年間、親に「捨てられた」と感じたさやかは、二度と捨てられないために必死でいい子を演じ続け、自分は家族に愛されていないと感じ、自分を失ってしまいます。もっと私を見て欲しい、本当の私を愛して欲しい。そのために私は家族とたたかう。映画という道具を得たさやかは、撮影カメラを持って家族の一人ひとりと対峙していきます。これはカルトを糾弾する映画ではなく、自己喪失した一人の女性が自分を取り戻す過程を撮影したドキュメンタリーとなっています。

「回復」の過程を描いた作品はいろいろあります。けれど、それは当事者自身の視点から描かれた、いわば一つのフィルターを介して見た物語です。だから、作品を作る側に都合の良い脚色が臭ってしまいます。けれど、映画の映像はすべてを映し出します。もちろん、撮影の現場にはカメラという第三者の存在もありますし、編集も行われますから、制作者の意図が大きく反映されているのでしょう。けれど映像は雄弁に語ります。妹から糾弾される兄の狼狽、子供の訴えを否定し自己弁護する親・・・(おそらく)その反応は主人公さやかの思い描いていた希望とは違うのでしょう。けれど、それでも彼女は変わっていきます。最初は「私は醜いアヒルの子(だから家族に捨てられた)」と歪んでいた彼女の顔が、映画の進行とともに次第に美人になっていくのがとても印象的でした。

「家族が憎い、家族を壊したい」という彼女の行動によって実際に壊れたのは、彼女の壊したいと思っていた彼女の頭の中の家族像に過ぎなかったのでしょう。

映画の後は、監督自身、評論家の芹沢俊介、シューレ大学の学生OB3人によるトークイベントがあり、撮影したその後の話も聞くことができました。映画は家族のプライバシーを暴くだけに、公開に向けて一人ひとりの了解を得ていく難しさ、その間の家族の変化などをうかがうことができました。

さらに驚きだったのは、翌日横浜に移動して「アディクションセミナー in YOKOHAMA」に参加していたのですが、その会場の入り口で、小野さやかさんご本人が映画のチラシを配っていたことです。さっそく声をおかけして、すこしお話をうかがいました。

彼女は、自分には映画という手段があったことは「とても幸運だった」と語っていました。こうした言葉を聞くと、「彼女はその幸運に恵まれたので「回復」できたのであり、自分はそういうチャンスがないから無理だ」という言い訳をする人がたくさんいるでしょう。けれど、出口のドアはいくらでも存在し、たぶんこのアディクションセミナーもその出口の一つなんだろう、という話を僕はしました。

チラシにサインをいただきました。この作品を一つのステップとして、映画監督として成功して欲しいと願っています。

チラシは東中野でこの映画が公開されるというものですが、あいにく昨日で公開が終わってしまいましたので、ここで紹介してもあまり役に立ちません。僕のやることはいつも人の役に立たないという好例です。今後もいろいろなところで上映されていくでしょうから、ぜひアンテナを高くしていて機会があったらご覧ください。

「アヒルの子」
http://ahiru-no-ko.com/

ブログ「白鳥になりたいのよ、わたし」
http://sayaka-ono.jugem.jp/

ブログのなかに
> 映画を撮る前、私は被害者だった。
> 映画を撮って、私は加害者になった。
という言葉があります。

その問題をACと呼ぶかどうかはともかくとして、自分は被害者だと主張する人の回復には、実は加害者性の獲得が不可欠だ、という逆説があります。(もちろん実際に人を傷つけなくても、自分の加害者性に気づくだけで十分なんですけど)。

戸塚から新宿まで電車一本だとは知りませんでした。
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by kokoro-no-iede | 2010-06-19 23:53 | Beyond the horizon
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