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食事三題
食事三題_c0001491_1145088.jpg父は戦前の農学校を主席で卒業しました。

農学校の多くは戦後になって農業高校になり底辺校と呼ばれるようになってしまいましたが、戦前はそれなりの学校だったそうです。なにぶん尋常小学校だけで学業を終える人も多かった時代です。

父は県の農業試験場に採用が決まっていたのですが、農家の長男だからと就職を諦めさせられました。それが悔しかったらしく、酒を飲むと「品種改良をやりたかった」とうだうだうるさかったです。

食事三題_c0001491_114573.jpgそれでも地主の跡取りでいられたら良かったのでしょうが、農地改革で土地を取られてしまいました。まあそれも時代だから仕方ないと諦めたにしても、戦前に私費で行った土地改良(構造改善)の年賦を戦後もずっと払っていたのはきつかったようです。ただその恨み言は滅多に聞きませんでした。

母の現金収入がないと暮らしていけない経済状況でしたが、父の品種改良に対する夢は消えず、農業の本や雑誌をうずたかく積み重ね、農学者と手紙のやりとりをし、金にならない栽培をしていました。

しかしやがて本は「積ん読」になり、届く雑誌の封筒には「未収金催促」の赤いはんこがつかれ、品種改良の夢は単に「まだ日本で流行っていない珍しい野菜を栽培する」趣味に変わっていきました。
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なので、ブロッコリーとかオクラとか、広く人口に膾炙?する前に我が家では普通に食べられていました。惜しむらくは、家族の誰も料理法を知らなかったため、いずれも茹でてお醤油かマヨネーズで食べるしかなかったことです。
芽キャベツとか、紫色のキャベツとか、あと消えていった野菜もいろいろ。息子としてはメロンをいろいろ作ってくれたのがうれしかったかな、と。

「これは良いものである」と父に言われながら食べさせられたおかげで、いまもブロッコリーやオクラが好きなのであります。むろんメロンも。


> 引用させてもらっても宜しいですか?

引用元を示されれば、どこを使われてもかまいませんが、そんなことやってないで、パソコンから離れて心身を癒してくださいませ。

10/20 19:14, 10/22 22:09, 10/25 12:36
by kokoro-no-iede | 2009-03-11 11:13 | Dinner table
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